第1章 初めてのタイ 3日目~4日目「まもあんの旅物語」皆さんの旅物語を読ませていただいているうちに、なんか懐かしさがこみ上げて来ました。ぼくのタイとの始まりは?ぼくがタイに対する思いは?少し自問自答をしてしました。 ここはぼくの旅物語を語るしかないでしょう。このたび物語は自分へ語る物語。もしもご拝聴できるようなら、皆さんもご一緒に。旅は人それぞれ。ストーリー、登場人物、場所、季節違うもの。皆さんのタイ感はいかがですか? 【第8話】 「タイ3日目 タイ東北の玄関口に立つ」 10/AUG/1995 アユタヤの朝は気持ちよかった。でも朝のシャワーをあびるとその思いは覚めた。お湯が出ない。。。。うー2日続けて寒い朝だった。暑い国なのに。。。。 荷物をまとめ、午前中に宿を出た。 このときの写真を見てみる。 キャップにサングラスは成田空港出発時と同じ。でも着ているシャツが赤い。。。。持ってきた着替えがなくなってしまった。なので前日に買ったシャツを着ている。聞くとタイのサッカーチームのシャツらしいが、果たして。これが以外に汗を吸い込んでしまい、あまり快適ではなかった。 街の市場を覗いて見る。店はすべてやっていない。寂しさが市場に漂っていた。昨日の夕方みた豚の頭は怖いけど、こういう状況はさびしい。時間帯が違うのかな? でもこの市場、余り整頓されていない。ダンボールなんか山積みというか、崩れている。その市場を通りぬけ、再びパサック川を渡し船で渡った。 アユタヤの鉄道駅に着く。そこで列車を待つ。ナコーンラチャシャーマ行きの列車を。そう、これからタイ東北の玄関口に向かおうとしていた。 列車の時間割を確認する。また時間があったので駅の食堂でタイのご飯を食べる。ごはんの上に挽肉を辛くいためたものが乗っている。これがおいしい。でも、辛い、辛い。ミネラルウォーターの大きなボトルをぼくもI君も持っていたが、ご飯の進み具合よりも水の進み具合の方が早かった。そばにいた猫たちが一瞥し去っていく。 列車が来た。ぼくらは3等車に乗り込んだ。座席は空いていた。そこに座る。でも、昨日も体験したが、椅子が硬い。もろ木製の材質の特徴を主張している。これが後々身体にこたえてきた。 窓の景色はきれいだった。山道というか森林地帯を列車は進む。列車の中には駅弁のごとくガイヤーン(鶏の炭火焼)の売り子さんが。停車した駅のホームにも売り子さんが。 列車の旅は駅弁。。。。これが旅のモットー。 1つ買ってみる。1つと言ってもずいぶん大きい。そしてもち米も。同乗したタイ人の老女がもち米の食べ方を教えてくれる。手でつまんでぎゅっとする。そうすると一口で食べられる。それをまねしてぼくらは昼食を楽しんだ。 列車は進む。でも外国人であるぼくらでもなんかおかしいいなと思う印象が列車の中に漂っていた。それはお尻の痛さと比例する。列車の進みが遅くなっていた。 空は快晴。風もない。なんで遅いんだ? しばらくして、その現場に到達した。 窓から覗き込む。列車の事故現場ばった。貨物車、セメントを積んだタンク車輌が横転していた。横転というか、完全にひっくり返っていた。唖然とする。日本ではまだ見たことがない現場だった。その脇をぼくらの列車がゆっくりと進んだ。同乗しているタイ人さんたちは冷静そのもの。そんなもの?こういうことが日々起きるの? ひっくり返ったタンク車に水のボトルがかけられていた。復旧作業をしている人が飲んでいるものだろうだけど。なんとなく印象的だった。ブランブランとボトルが揺れ、ぼくらも列車とタイの日常に気持ちが揺られていた。 夕方、ナコーンラチャシャーマに到着した。鉄道駅から旧街のタラ・スラナリ像まで歩く。20分くらいかかる。その間宿泊先のようなところを過ぎるが、ぼくとI君は悩みながら進んだ。タラ・スラナリの像の周りには屋台もたくさん出ていた。祈りを終えたあとのろうそくの火もともっている。 ぼくらはその近くの「Pho Thong」という宿にチェックインをした。今晩はこの後、休息だ。そして明日はピマーイ遺跡に向かう予定を立てていた。 (イメージ図:タイ東北のダンス) 【第9話】 「タイ3日目 タイ東北の夜、試練の時」 10/AUG/1995 夕方前に宿を押さえたぼくらは一安心といったところか。さてじゃあ周囲を見て回ろうと宿を出る。 日は暮れ始めていた。 前日のアユタヤとはまた雰囲気が違う街、ナコーンラチャシャーマ。 タイ東北の玄関口として栄えているが、ここから東北は気候的にも厳しく、土地を見ても豊かではない。 バンコク、アユタヤと毎日違う場所に滞在をしているぼくらだが、その気配は十分に感じていた。 宿を出たところにコラート(タイ東北)の英雄タラ・スラナリの像があり、その周辺は公園のようになっている。 人々が集まってはのんびりしている。こういう空気いいですね。 この日は何を食べたんだろう。。。。 近くに小さなデパートがあり、その上で軽くタイ料理を食べた記憶が。あと屋台でパッタイみたいなのを 食べた記憶が。初めてここでココナツを飲んだのは正確に覚えている。不思議な味だった。 そして、外に出、散策。目的はない。何があるのだろうと思うのみ。 すると明るく光るネオンを外観にちりばめた建物があった。パブと書いてある。 ぼくらはそこに入っていった。中は意外と広く、ステージがある。 テーブルにすわり、ビールを頼む。そうおなかも空いていなかったので、ただビールを飲んだ。 時間が早かったせいか、人は少ない。 ぼーと店内を見る。演奏はタイ語、何言っているんだか、わからない。 ビールが十分入ったところでトイレに行く。すると従業員がスタンバイしていた。 ぼくは小の用をたす。すると背後に人の気配が。 従業員がぼくの首の後ろに蒸しタオルをのせる。突然のことに小が止まる。 あれれ。 そして肩をマッサージ。何で? 断るタイ語を知らない。慌てて「NO THANK YOU」と。 これがナイトクラブでもトイレの常識だった。そんなことを知らないぼくは、そのとき戸惑うばかり。 小は戻ってこなかった。 手を洗いに行くと、また従業員がタオルを手に待っている。そして、そのタオルをぼくに渡した手はうずうずしている。 いやいや、いいわ。。。。。手洗い中の肩もみ再開の機会を狙っている従業員を事前に制する。 そして手洗いのところをみると、お皿がちょこんと。 あーチップなんだ。。。。いくらだ? これまた初めて。ひとまず、ポケットを探ると20バーツが出てきた。これを皿に置く。 そして急ぎ足にテーブルに戻り、I君に報告。 「本当?」 今度はI君がトイレの番だった。 I君は5分位して戻ってきた。 「どうだった?」 とぼくが聞くと、 「気持ちよかった」 とI君。 どうも彼の方が順応性が良いようだ。 盛り上がりを見せないパブを出たぼくらに、次なる試練が待っていた。 突然のスコール。 あれれ、どうしよう。それも宿に向かって途中まで歩いていた途中だった。 ぼくらは途中雨宿りをしつつ、前進。 結局ぬれた姿で宿に戻った。 そして皮肉なことに宿につく間際に雨がやんだ。 タイの雨の気分屋さんの性格がしみじみわかった。 疲れた。そう思った。 宿はお湯が出た。ひとまずそれで温まる。でも出は悪い。 疲れた。やはり、そう思った。 「寝よう」 二人は素直にそう言った。ここで休息が必要だ。 そして、べッドに横になって、自然と天井を見上げると。。。。。 あれれ、最終試練が待っていた。 そこには、、、、、チンチョの姿が。それも10数匹天井にくっついている。 あれれれれ。 I君もこれには当然気がついている。 慌てて電気をつける。 「どうしよう。。。。」 二人とも解決策が見当たらない。 仕方なく毛布を頭からかぶり、寝るしかなかった。 この瞬間、思った。あータイってなんたる国だ。。。。。。。。 なんで部屋の中にいるの?????? ただ深く寝るしか解決策は見当たらなかった。 (イメージ図 これが10数匹。。。。。) 【第10話】 「タイ4日目 タイ東北の道を走る」 11/AUG/1995 恐怖のチンチョ軍団の夜を超え、朝となる。起きた瞬間はさすがに自分がどうなっているか心配になった。 チンチョたちの姿は見えない。自分もどこもかまれていない。 安堵。。。。。。。 でもこの安堵は本当に一瞬だった。この日がとても長くなる日になるか、到底推測できなかった。 午前宿をチェックアウト。大きな荷物はフロントに預ける。 バスターミナルにまで歩いて向かう。そして、ピマーイへのバスに乗り込んだ。 人で混んでいる。でも周りのタイ人さんたちが、座れ座れとスペースを作る。 ナコーンラチャシャーマまで乗ってきた列車も思えばそうだった。通常二人座れるところを 混雑してきたらそこの3人目を座らせていた。タイ人さんのやさしさを感じる。 バスはまさしく田舎道を走る。ところどころ舗装あり、ところどころでこぼこあり。 ピマーイはアンコールワットの前身との説もあり、タイのガイドブックを眺めていてすごく気になっていた場所だった。 すでに2日目にアユタヤの遺跡に感動しているぼくらにピマーイはどう迎えてくれるのか。 そこに雨が降ってきた。完璧なるマンゴシャワー。 ぼくらはバスに乗っている。ぬれるはずはない。あれ?でも。 バスの一部の天井が換気のため空いていた。そこから雨がもれてくる。 乗客が車掌に言う。 すると車掌が雨の中、ずうっと空いていた出入り口から出、窓に足をかけ、バスの屋根へ。 え?走っているよ。 おまけに激しい雨が吹いている。 車掌は屋根を歩いているようだ。え?這っている? そして外から空いている部分のふたを閉じ、また、同じ乗車口に戻ってくる。 おーーーーーー!すげーーーー! でも周囲のタイ人さんたちは自然体。 あーいつもこうなんだと悟る。すごいね、タイ人さんて。 バスはピマーイについた。そのころには雨はスカッと晴れ上がっていた。 タイはすごいね。 そして、ぼくらはまた時代の産物と対面することになる。 (イメージ図:タイ東北部の風景) 【第11話】 「タイ4日目 ピマーイを目にして」 11/AUG/1995 正直バスがピマーイの街に到着したとき、ほっとしたというか、まだまだ足りないというか複雑な心境でした。完全にタイ4日目、というか海外生活4日目にして、今までの日本での生活を覆されたような印象を受けていました。タイと日本ではまったく違う生活観だな、とすでに感じております。 ピマーイの街の印象は一言で言うと「田舎」。大きなデパートがあるわけでなく、せいぜい3階立ての家が連なっています。生活の基盤は市場と商店。道幅も広いというか、まだまだ整備前といったところ。 実はこの話の1995年以降、何度か、確か2度ほど訪れていますが、印象が同じというのも、取り残された時間というのを感じる街です。 でも、取り残される前にピマーイ遺跡は整理され、公園として整備されていました。そして、現代人に昔の様式を歴史の証人として象徴してくれています。 正直、規模はそう大きくありません。前日(ずいぶん時間がたったように感じますが前日でした)に見たアユタヤ遺跡とは比べようにならない、1つの遺跡があるのみ。 でも何だろう。なんか感じるものがアユタヤとは違いました。ピマーイ遺跡はカンボジアのアンコールワットのタイ版と称されるほど、クメール時代の様式を残しています。整備されたとは言え、残された石版はぼくらに何を語ろうとしているのか。確かなのは、この地には昔生活をしていた人たちがいたわけで、それから時代をさかのぼった時、ぼくらがいる。この地で亡くなった方もいるわけで、今ぼくらは生きている。歴史ある場所に立った者のみが感じる印象ってわかりますか?それをぼくは感じました。 入り口を守る蛇神ナーガがぼくをにらみ。ぼくもナーガをにらみつける。その前にはナーガを控えた狛犬みたいなのが構えている。お!日本みたいとその時感じる。 ラテライトで詰まれた回廊に立ってみる。目をつぶってみると当時の人になった感覚が芽生える。 実は今ビールを少々頂き、りんちーさんとの格闘の後。そこへこの回想記を書いているわけですが、昔撮った写真を見た瞬間涙がでそうになりました。なんだろう、少し感傷的かな。決してりんちーさんに噛まれた傷が痛んだわけではありません。(今日思いっきり噛まれました)なんだろう。昔訪れた感じが今よみがえったようです。 こうしてピマーイ遺跡に到着しました。ここが旅の折り返し点になります。 (イメージ図:タイ東北の料理) 【第12話】 「タイ4日目 ピマーイを出る。コラートを出る。そしてバンコクへ」 11/AUG/1995 ピマーイ遺跡では現地のタイ人さんとの交流もありました。大学生の男の子女の子7人に囲まれたら書かざるをえませんね。 ここで全員で記念写真。皆良い笑顔しています。でもどうしても、I君が現地の人にしか見えない。。。。。 さァ、旅の折り返し地点。ひとまず遠くの場所に行ってみる。それが今もぼくの旅のプランの立て方。 と、いうことは戻る。。。、そう、戻る。 まずはバスに乗りナコーンラチャシャーマへ戻る。来た道をひたすら戻る。疲れて寝ているぼくら。。。 荷物を預けている宿に戻り、バスターミナルへ歩く。。。。の前に、おなかが空いたので食事を取ることに。 クランプラザというデパートに入り、簡単にタイご飯ですませる。そしてテナントの皮屋さんに寄り道。 ここでI君が行動に移る。店員のタイ人女性の方に、夢中になる。(そうだよねI君) ぼくは半ばあきれてみている。それよりかばんが気になる。いいなあ、、、と思いつつしばし時間が流れる。 ここでI君記念写真だ!と言う。 そしてまずぼくともう一人の女性の店員さんと撮るという。おいおい、だしにしていない? そしてI君と気に入った店員さんと撮る。なんと笑顔のすばらしいこと。 タイ人さんと触れ合うと、こちらも笑顔が派手になるのかな。 そしてバスターミナルへ。丁度良くのバンコク行きのバスが出る。それに乗り込む。 ここに当時のチケットが115バーツ。 そして、こうメモしています。「大都会へ戻ります」 そうですね、しばし滞在したこの地は、素朴さに満ちていました。こういうタイの良し。 長い長いバンコクへのバスの旅。I君はすぐ眠りに着く。 ぼくはなかなか寝付かず。期待度かな。がっかりかな。 プランでは直行パタヤ方面という案もあったのですが、ひとまずバンコクへでまとまってしまったから。。。。 かばんをごそごそする。結局、先の皮産さんではかばんを買わず。メモによると1500バーツ。。。。うー微妙。 ここで初日カオサンで買っておいたカセットテープをイヤホンで聞く。 移り行く田舎の風景のBGMはタタ・ヤンでした。 さてここでそのカセットテープが手元に。ぼくもよく取っていますね。旅の記念だ! さてカセットを取り出すと。。。。avex trex???? なんだこれ??? ためしにかけてみる。 あらら。。。。ディスコサウンド!!!(クラブサウンドといわないところがぼく的) 慌てて改めて探す。あった!!!! タイ語読めないけどこれでしょう。 うuuuuuuu なんか耳に残っている。およそ9年の時を超え、聞くことに。 うん、今のタタ・ヤンの方が確かに歌唱力は上がっていますね。。。。。。。 でも懐かしい。A面の2曲目が当時よーくかかっていたのを思い出します。。。。。。 A面3曲目、なんか最近リメイクされたような、、、似た様なフレーズの曲もあるような。 年月を過ぎても楽しめる思い出の曲、皆さんはお持ちですか? 【第13話】 「タイ4日目 夕刻、バンコクに到着。そして焦る」 11/AUG/1995 タイ東北ナコーンラチャシャーマからのバスは夕刻過ぎバンコクに到着。 当時の記録のメモがここにはなく、記憶をたどろうとしてもなかなか思い出せず。 どこに到着したんだろう。 と、いうか、この瞬間からこの旅初めての焦りが出始めてしまいました。 ここはどこ?私は知っている。今晩どこ泊まる???? この旅は事前に宿を手配していません。なので、今、この瞬間、宿無し状態でした。 I君はぼくまかせ。彼のあるところ尊敬します。 ぼくらはバンコク初日カオサン通りに滞在しました。 タイ語も挨拶と1~10しかしらない段階の二人組。 中途半端なバックパッカー。 そこでチョイスしたのがマレーシアホテル界隈でした。 マレーシアホテル。 バックパッカーでは有名なホテル。 でも、今はもっと違う意味で有名。 このあたり男性同士のカップルが集まるんですね。 なので、こうしてバンコクで暮らしている最近はあまり行く機会がありません。 そんなこと当時はわからず。ぼくらはなんとかマレーシアホテルのソイ(小路)に到着。 そこをてくてくと歩く。時は20時頃? 細いソイ。最近は新しい建物がたっていますが、1ヶ月前、このソイを通ってみました。 でもこの「旅物語」の面影はどこか薄れていました。 何件かラマ4世通り沿いからあたってみてもしまっているか、門限が決まっているか。 なので、ぼくらはテクテク歩く。 そのうち、1件見つかりました。中華系の、なんだろう、今なら1ヶ月3000バーツくらいの家賃の印象のところ。 そこをツインで350バーツにて。当然朝食なし。 でも、ここにはバスタブがありました。でも、湯船にお湯はためていません。水量がよわかった。 エアコンも完備。でもON/OFFのスイッチが壊れていました。おかげでスイッチを入れたまま、この後外出。 さて、宿は決まった。 これからどうする? 時間は21時頃。 ぼくらはパッポン通りに向かいました。歩いて。。。。 しかし、長い1日。この日ぼくらはナコーンラチャシャーマとピマーイを往復。そしてバンコクへ。当然疲れはたまっていた。 【第14話】 「タイ4日目 パッポン上陸」 11/AUG/1995 皆さんのパッポン通りの印象はどのようなものですか? ぼくとI君にとって始めてのパッポン通りの夜が来ました。でもマレーシアホテル界隈から歩いてくるのは、かなりきついです。 まず屋台がずらりと並んでいることに驚き。よくもこう密集したもんだ。ここではぶらりと見学。 このとき、あまりタイバーツを持っていませんでした。これがあとあと尾を引きます。 なので、買うにも悩む。 実際、パッポン通りでの買い物はお勧めしません。 売り子さんはあくまで売り子。彼らに権限は限られています。 そこにどんどん値引きを交渉しようにも、限度があります。 一部の情報でパッポン通りはどんどん値引き、ほかでは3分の1の料金で売っているのだから、ぼっている、だから値引きできる、とありますが、 確かに金額は高いです。でも下げられる限度があるのだから、それ以上交渉しようにも火を噴くだけ。 双方、けんか腰になる。 賢いのは、買わないこと。できるなら値段も聞かない。そのまま行こうとすると売り子の悪態(タイ語)が聞こえてくるだけ。 外人がおおいな、と思う。それは当たり前。ここは夜の観光地。 そしてゴーゴーバーを覗き込む。 日本人がたくさん行っているという店に入る。カウンターに座りビールを頼むまえに、女の人がどんどんくる。 当然ゴーゴーなんて初めて。カウンターに座ったもんだから、踊っているのは見上げなくてはならない。 首が痛い。店の女の子は離れない。うるさい。 そして1件目を後に、2件目。ここもうるさい。またカウンター。で、女の子たち。 でもここの店では女の子と話をあわすことが少しできた。 I君の目の色が変わる。 なんか、予感する。。。。。。I君が耳打ちする。「お金貸して」 おいおい、そりゃ、どうゆうこと? ゴーゴーの女の子は店の外に連れ出せる。なのでI君はそれを考える。 互いに満足なタイバーツを両替前で持っていない。ぼくはI君に少し援助。 。。。。ということで、ぼくはここで終わり。 実はこのあと話が発展。 店の外に出たI君。結局お金たらず。お店に払うお金、時間をともにするお金、その場所代。まったく足りず。 なので、パッポンからの帰り道は二人でてくてくあるいて帰ることに。 怖いね。なんだろうね。とパッポン初心者の二人は夜道を30分ほどかけて、宿へ戻る。 ラマ4世通りとサトーン通りの交差点を渡りながら、夜なのに車が多いな、、と思いながらわたる。 思い返せば、この交差点の印象は今も変わらず。まもなく10年近くなろうとしているのに、この交差点を通るたびの、当時のこのことを思い出す。 バンコクの魔力に酔いそうになった夜の話でした。 ジャンル別一覧
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